文字捨て場

不要になった文字たちを供養する場所

日本語を正しく使おうとしすぎない方がいい

日本語の乱れというテーマが世間に認識され始めてからもうずいぶん経ちます

アメリカなどの多民族国家ならまだしも、われわれ日本人の多くはゆりかごの中にいる頃から日本語に寄り添い、日本語と共に育ち、日本語で互いに繋がりあって、日本語で愛を伝えあい、日本語で喘ぎます。ゆりかごほどのサイズの金色ネックレスを付けてるラッパーも例外ではありません。日本生まれ日本育ち、ワルそな大体の友達も日本語ユーザーのはずです

 

 

 

 

 

そもそも言葉とは何なのか

人間はあらゆるものを言葉によって認識している。あなたが頭の中で(髪切りたいなぁ)と考えるとき、あなたは髪を切るという行為を言葉を通して認識している。もちろん頭の中には文字も声もない。言葉というのは文字でも声でもなく「脳内で思い浮かぶアノ感じ」というイメージに対して付けられる名称なのだ

 

・・・という哲学みたいな話でカッコつけたいわけじゃなくて、要するに言葉とはコミュニケーションを取るためのツールなんだ

日本語の乱れ、確かに乱れすぎるのは良くない。髪を切りたいあなたが日本語を崩しまくって美容師に「毛、ヤッちゃってください」みたいに注文したらパンチパーマにされてもモヒカンにされても文句は言えない。乱れすぎるのは良くない。最低限コミュニケーションにエラーが生じない程度に留めるべきだ

 

 

では「徹底的に正しい日本語を使うべきなのか?」というと、答えはNOだ

それはそれで大きな問題が発生してくる

 

 

そもそも「髪を切りたい」っていうのが既にもうオカシイ、ぜんぜん正しくない、圧倒的不適切

正しい日本語を使うのであれば「髪を切られたい」と表現すべきだ

髪を切りたいのなら美容師に代行させずに自分で切るべきだ。だって切りたいのだから。でも実際には切りたいのではなくて切られたいはず。髪を切りたい!髪を切ることで欲求が満たされるんだ!と言うのであれば、あなたは美容師になるべき。圧倒的天職。

 

もっと言えば「髪を切られたい」という表現もまだ少しオカシイ、まだあと少しだけ正しくない

もっと正しい日本語に言い直すなら「髪の長さや量などを整えられたい」と表現すべきだ

「切ってもらう」というのはあくまで髪型を整えるための手段であって、切られること自体が目的ではないはずだ。もし「トップのボリュームは残しながらサイドは抑え気味で、若くてヤンチャな雰囲気も残してください」とオーダーした結果、そのニーズをすべて満たすモヒカンにされたら満足できますか?「髪を切ってもらうという目的は果たせたから満足!」と言うのであれば、あなたは単に拳王軍だ。圧倒的世紀末。

 もっと正しい日本語に言い直すなら「髪の長さや量などを整えてもらいつつ同時にモヒカンを回避したい」と表現すべきだ

 

 

 

 

皆が乱れていない正しい日本語を使う日がもし来たとすれば

「そろそろ髪切りたいなぁ」というツイートは定期的に髪を切断したいという欲に駆られるサイコパスだと認識されるし、「そろそろ美容師に髪を切ってもらいたいなぁ」と詳しくツイートしたとしても、間もなくしてモヒカンの自撮りがUPされるのではないかと周囲をヒヤヒヤさせることになってしまう

 

 正しすぎる日本語は諸刃の剣なのだ